東北に星を届けたい2019

すべての人に星空を。

11月4日、今年もまた宮城県名取市閖上にプラネタリウムをもってお伺いしました。「閖上の記憶」さんたちと出会って3年目です。2011年以降、「東北に星を届け隊」を続けています。ここ4、5年は、パルシステム東京さんからの助成をいただき、毎年10人程度の村人でお邪魔しています。今回のメンバーは、田中(復興応援担当)、高橋、跡部、鉢金、薄田、宮下、ゆかこ、大和一家、和田、黒井でした。

(ここから、ゆかこレポート)
今回、プラネネタリウムを上映した場所は、閖上体育館。今年5月に出来上がったそうです。ここは、津波で何もなくなってしまい、その後、5mのかさ上げを行いました。そこに、新しい住宅や、この閖上体育館が建ちました。まだ、空き地の土地も数多くあります。
プラネタリウムは、午前中に遺族会の一環として1回投影、午後は一般公開として1回投影。そして、それぞれのあとに、ワークショップでボトルドスターをつくりました。

プラネタリウムの投影、村代表で宙先案内人の真理子さんの温かい語りが、こころに染み入ります。上映が終わっても、すぐに立ち上がる人はいませんでした。みなさん、それぞれ思いがあり、余韻に浸っていました。投影の一番最後に、2011年3月11日の星空を見上げながら、「星つむぎの歌」を歌う場面があり、閖上の記憶の方々と星つむぎの村のスタッフとの心が一つになったようで、心が溶けるようなひと時でした。

ボトルドスターは、ひたすら穴をあけて星をつくってもらうのですが、その中に、大切な人のお名前を刻む方も多くいらっしゃいました。毎晩、寝る前に灯してもらえるといいなあ、と思います。

震災から8年以上が経ちました。復旧は進んでいます。しかし、閖上の人々の心は、あの日から8年以上の月日が経っていないと、プラネタリウムを観る人々の様子やお話しで感じました。心の復興は、まだまだです。これからも、同じ星を見上げることで、心を寄せていたいと思います。

閖上の記憶の方々で、広報やみながホッとできるお茶っこの準備等をしてくださいました。この会を、良いものにたいという、気持ちが、とても強く伝わって、胸が一杯になりました。本当にありがとうございます。来年も伺いたいです。よろしくお願い致します。

(黒井感想)
真理子さんに委ねる閖上スペシャルバージョンは見上げる人の心を鷲掴みにしてしまう。闇の中で
「ここにいるよ」
「ここにいるよ」
語っているのか
聞こえて来るのか…。

私には星の瞬きが
私はここにいるよ
私はここにいるよ
まるで、そう語っているように感じた。

去年あんなにはっきり見えたこどもたちの姿は
今年は光として見えたのかもしれない。ここにいるよって…。

去年大川で見たトンボが閖上で
今年も飛んでいた。
ここにいるよ
ここにいるよ
星の瞬きが…トンボが…。
そう語っているようだった。

★★★

翌11月5日には、台風19号で大きな被害を受けた福島県伊達市に立ち寄り、
泥かきボランティアをしました。急な計画ではありましたが、星つむぎの村と長く
関わってくださっているNPO法人 Bridge for fukushimaさんとのつながりで、
伊達市にお邪魔することに。2チームにわかれての作業でした。

(鉢金レポート)
水害で、家のものほぼすべてが泥水に沈んでしまったお宅の中のものを、運び出す
作業をしました。家の方は2名でただただもくもくと指定された時間があるのでほとんど休まずに作業されていました。 私はたった4時間チョットの手伝いで川崎市に戻り普段通りの生活に戻れますが、普段の生活どころか、行き場のない苦しさの中にいらっしゃる方も多々いることでしょう。今回の活動を機に、自分のまわりで困っている方がいれば照れたりせずに手助けすると決めました。

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(高橋レポート)
女子チームのほうは、別のお宅の窓や1階のたたみが外された板の上にまだあちこち残る泥の掃除をしました。そのお宅のご夫婦のお話もだいぶ聞かせていただきました。その数日前まで避難所生活だったこと、2階すれすれまで水がきてしまって1階は全滅だけれど、まだこの家に住みたいと強く思っていること、ご家族のことなどなど。一人ひとりができることはわずかですが、それでも、彼らがまだこの家で生きていくんだ、という一筋の光につながるといいな、と願いながら、お掃除させてもらいました。