東北ツアー、2日目の会場は石巻にある文化会館アイトピアです。

ボトルドスターや星のなる木ランプを暗いところで見てもらえるように工夫したり、ホワイトボードにプラネの開始時間やワークショップの料金などをまとめたりと、はりきって準備しました。

 

そして嬉しいことに開場時間より前に来られたお客さんも。一日目同様に、お子さんからご年配のかたまで多くの人に来ていただきました。

作った地球ゴマで遊んでいる子。真剣に星座の穴を開けているお母さん。プラネタリウムに2回入った子。「見て!」と作ったものを見せに来てくれた子。作品の見本を見て「きれいだねぇ」と言ってくださったおばあちゃん。

 

友達とお話しながら、親子で顔を見合わせながら、みなさん楽しそうに過ごされていました。

印象に残っているのは星座カードを作っていたという男の子。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん…と、家族みんなの分を作っていたら、自分の分を作り忘れていたのだそう。後から「ください」と取りにこられて最初はびっくりしたけれど、事情を聞いたら優しい子だなあとほっこりした気持ちになりました。今回もきっと、多くの人が“星”を通して笑顔になれただろうと思います。<レポート:倉知朝希>

文化会館アイトピアでのイベントを終えた後、語り部タクシーで海岸沿いや日和山(閖上湊神社・富主姫神社)に寄りながら「閖上(ゆりあげ)の記憶」にやってきました。
「閖上の記憶」とは、閖上中学校遺族会慰霊碑を守る社務所として、震災を伝える場所として、そして、閖上の方たちが立ち寄れる場所としての役割と機能があるそうです

閖上中学校では14人の子どもたちが津波で亡くなりました。今回はその中の一人である中学1年生のお子さんを亡くされた丹野さんからお話しをお聞きしました。

かつて5,000人以上の方たちが住んでいた街が更地になってしまったこと。政府は、行政は、災害公営住宅を建てて新しい街を作ろうとしているが、”きれいで新しい街”を作れば復興ということではないこと。きれいな街がつらく思う方もいること。もう前を向こうと言う方もいること。年月をかけて今年に入り他の人と当時のことについて話すことができるようになった方がいること。行方不明になった家族が見つからなければ震災はまだ自分の中で始まらないと言う方がいること。

被災した人の数だけ感じることも違う。震災のかたちも違う。復興の進み方も違う。そう強く感じました。

語るということは、その度につらいことと向かいあうことになります。それでも閖上のみなさんが語りついでいることは何にも代えられないことであり、また、このようにお話しを聞けることは決して当たり前なことではないのだと思いました。


施設の中には被災後に約2年間継続して行われた子どもの心のケア(心理社会的ワークショップ)においてつくられた子どもたちの作品を見ることができました。心に深い傷を受けた子どもたちが段階的にワークショップを行うことで、ゆっくりと向き合いながら心の整理をしていく様子を感じました。
その数ある作品の中で、「あの日の覚えている光景」の作品を作った感想としてある子が記した「ふつうだと思った」という文字に目がとまり、離れませんでした。その”ふつう”という言葉にはどれだけの言い表すことができないさまざまなものが含まれているのでしょうか。

閖上の記憶の傍には慰霊碑があり、亡くなった閖上中学校の14人の名前が刻まれています。「ぜひ名前に手で触れてください。」と声を掛けていただきました。人の体温で暖かい慰霊碑であるように名前に触りやすい形にデザインにしたそうです。


閖上の記憶は今後、名取市土地区画整理事業のため、慰霊碑とともに移転することになったそうです。これまでも移転することはあったそうですが、いつも閖上の記憶の傍には鯉のぼりが泳いでいます。どこに行こうとも子どもたちがここにいることが分かるように、という思いがあるそうです。場所が変わろうともこれからも閖上の記憶の上には変わらず鯉のぼりが泳ぎ続けるのだと思いました。

次はぜひ閖上の記憶の中に移動プラネタリウムをという話をして閖上を後にしました。<レポート:松尾清花>