星つむぎの村のメンバーは、2011年の東日本大震災以降、プラネタリウムや星を見る会、コンサートなどいろんなスタイルで東北にお邪魔してきました。やりどころのない悔しさや悲しさにありながら、ひたむきに一生懸命生きるみなさまにお会いしてきました。

いろいろなご縁をいただく中で、去年、「閖上の記憶」のみなさまと出逢い、閖上中学校遺族会の方々に「あの日の星空」を届けました。「あの日の星空」が、深い悲しみを負った方々に上を見上げる機会になれば、また語りだす機会になれば、という想いがあってのことです。今もなお語れない多くの方々が、いつかここにきて語ってくれれば・・「閖上の記憶」の丹野さんやみなさんはそう思って、毎日オープンしています。星つむぎの村がいけるのは年に1回か2回のことですが、それでも、あの日の星空の下だからこそ、つながれること、語れること、あるのではと思い、閖上のみなさんとともに続けていければと思っている活動です。今回ははじめて7mドームを持ち込み、50人ぐらいの方々が一度にはいれる場所で、しかも、完全に星空に包まれながら、寝ころべる場所で、2018年11月3日、名取市下増田公民館にて「あの日の星空の下で」を開催しました。
「小さないのちの意味を考える会」の佐藤先生にもご参加いただいたり、他にも、閖上以外の場所で、大切な人を奪われてしまった方が参加してくださいました。ありがたいことです。

星つむぎの村からは、9名(山梨、福岡、愛知、神奈川、東京、宮城からそれぞれ)参画。ドーム内での演奏に、サーランギー奏者の奈良先生にもきていただきました。仙台市天文台の高橋博子さんも参加してくださいました。

投影の中味は
・地球をはなれて、宇宙へ空間の旅
・宇宙の果てのようなところから地球へ時間の旅
・2011年3月11日の星空
・仙台市天文台「星空とともに」の中から3人のメッセージ
・参加者のみなさんより
・星つむぎの歌

たくさんの想いを抱えて帰ってきたので、十分に言葉にしきれないものばかりです。そのほんの一部を
メンバーの何人かが感想を書きましたので、レポートにかえさせてもらいます。

 


11月3日、東日本大震災に遭われた方々にプラネタリウムの投影を行いました。

名取市内の公民館に作ったプラネタリウムのドームの中で、震災に遭われた方々と共有した時間は、私にとって、とても意味のある時間でした。

きれいな星空で心が癒され、また、ご自身の震災のつらい体験を話してくださった方は、話したことが少しでも心の癒しに繋がってくれたらと思います。

東北以外に住む私たちは、東日本大震災のことを忘れず、思いを寄せ、自分の住む地域に、東日本大震災とは、どういうものであったのかを伝えていかなくてはいけないと思いました。

そして、案内してもらった津波復興祈念資料館「閖上の記憶」。ここに展示してあった子供たちの作品、震災前の町の模型と、震災でのつらい体験の粘土細工、未来の町の模型には、心をわしづかみにされました。震災で失われたものは、もう戻ってこない、悲しみも消えることはない、しかし、私たちの気持ちや行動で素晴らしい未来は作ることができる。そう言っているかのような子供たちの作品でした。

大川小学校の語り部の方からいただいた小冊子に、「どんな大津波でも流されないものは、心だということを知りました。どんな状況にあっても人は希望を見つけ出せることを知りました。」と、ご遺族の方が書いた箇所がありました。心を打たれました。

 

震災の時東京にいた者が、勝手なことを言ってと気を悪くされる方もいらっしゃると思います。しかし、今回、震災に遭われた方々とお話ししたこと、また、見たものによって、私自身が、多くのことを学び、日々の暮らしを意味あるものにしたいと思ったことをお伝えしたいと思いました。(ゆかこ)


 

ひさしぶりに東北ツアーに参加しました。

一言でいえば、こころ痛くそしてこころ震えた体験でした。

ドームプラネタリウムでの被災者の方々の語りを聴いていると、
自然と涙があふれてきました。
とつとつと当時を語っていただいたのですが、
あの津波を経験していない私でも気持ちが揺さぶられ、
言葉ってこんなに重いものなのか、とショックを受けました。

また、遺族会の方とお話した時の、
「この会は、今、明日に向かっていくための会なのかなぁ」
とおっしゃった言葉が忘れられません。
気持ちを共有する時期を経たからこその言葉だったのかな。

大川小跡で伝承の会の方(お子さんを亡くされています)から聴いた
震災津波当時のお話は、その光景は脳裏に想像できるほどで、
真のことばの力を実感しました。
くやしさ、後悔 そして これからへ伝えたい思い、を。

自分のことば、ちょっと安易に使っている。
たまには自分と真剣に向き合ってみようと思います。(仲道)


【名取市閖上からプラネタリウムのドームの外側から感じていたこと】
東日本大震災から7年が経っている あの津波のショッキングな映像…
私は、震災当時から沢山の人がなくなった場所へ出向くことが、怖くて出来なかった。
今回は 星つむぎの村から、つなぐ人フォーラムで、閖上の記憶の丹野祐子さん
それを支える地球のステージの武田絵莉香さんと出会って、直接お話を聞いて、命に向き合っている方へ
星を見上げる意味を届けられたらと思い。参加を決めた。
大丈夫。 真理子さんがいる。 大府のみんなでプラネタリウム仕掛人の森山さんもいる。 大丈夫。
と言い聞かせるように横浜~仙台の夜行バスを予約した。 仙台で、星つむぎの村人と合流し、
レンタカーで名取市へ移動する。 悲しみだけに溺れないそんな印象の風景だった。

もう7年…されど7年…… 怖くて近づけなかった町町町…… お昼から名取市下増田公民館にて震災遺族の皆さまと
あの日の空を一緒に見上げる。 様々な想いを抱えて 地震、津波の災害で人が沢山亡くなった。
多くのものを失った方と一緒に見上げる。 跡部さんが、集まって下さった方へ語りかける。
あの大好きな跡部さんの声が、いつもと違う…もっと優しさを含んだ声になってる。
そう思うそれだけで、込み上げてくる。 (えっ!もう?!) って思うくらい早く感情の波がやってくる。
それは皆さんが丹野さんと同じ目をしていたからだった。

「悲しみだけに溺れない強さ」を感じたからだった。 7メートルのドームに入る前の説明をしなくちゃいけないのに、
すでに胸が一杯だ。 自然の猛威で人の命を失った。 突然の天災で、我が子を救えなかった悲しさはどうしたって
「ごめんね。そして、ありがとう」 にしかならない事を知る。 私も…実はそうなのだ。 閖上に来る前にとびきりの
笑顔をする太郎くんが16年の息を引き取った。私はいったいもう何人の子ども友達を見送っているのだろう……
私は、旅立った友達に「ごめんね」とは、語らないようにしてた。 立ち上がれなくなりそうな想いを必死に堪えるためだ。
でも、本当の本当はね。 「沢山のごめんね」を持っている。だから、それに向き合うのが怖かったんだ…… 頭の中をぐるぐるする。 あの日の星空に向き合う意味… ドームに入るのが怖くなった。 最後の方がドームに入らず、「外側で、聞いています。」とおっしゃった。 その時助かった……と思った。 私も残ろう。 そんな思いで、ドームの外側から入口のファスナーを閉めた。

真理子さんの声が響き始める。 今回はサーランギー奏者であり宮城こども病院のドクターである 奈良隆寛先生の演奏と共に星を見る。 大切なものを失い再生に向かうためのあの日の星空だ。 外側に残った椅子に座って、まるで祈るようにドームの外から観ていた。 それだけで溢れるものがあり、 初めて出会ったその方は真理子さんと閖上の記憶を繋げた須藤敏子さんだったと、その時は知らずにただ一緒にいた。 そして、自分の話をポツポツと話した。 「この前病院にいったけど、アルコール中毒になってしまった人、心の病気になった人がこのドームの星空を見上げたら、元気だった頃の自分を少しでも取り戻せないかしら…」 と話してくださった。 泥の中から咲く蓮の花の様に清らかな想いにびっくりした。 ドームから聞こえてくるサーランギーが、人の息のように優しくやさしくメロディーを奏でる。 ドームの外のスリッパを綺麗に整えて、ドームに耳をつけて参加者の皆様の声を聴く。 自分の想いと静かに向き合っていた。 すると大好きな太郎ちゃんとお母様に向けて、友達親子がビデオレターでプレゼントした「おひさま」が聴こえてきた。 まるでその時その場所に丁度必要なものがそろうように、心の中に沁みこんできたのだった。 そして、丁度今日のその時、 太郎ちゃんが荼毘に付された時間とかぶる。 しゃべれない太郎ちゃんのまるで、メッセージだった。
「お願いどこかで笑っててそれだけで、いい それだけで、いいのよ」

それに答えるようにやさしくサーランギーと真理子さんの声が響く。 声を潜めて泣く…… 結局、一緒にいた須藤さんに寄り添ってもらったのは、私だった…。 それぞれの想いに向き合った時間だった。 ドームから皆さんが帰って来た。 それぞれの想いを抱きしめて帰って来た。 皆様のその表情が少しだけ、緊張が緩んだような柔らかさがあり、ホッとした。 「おかえりなさい」 そんな言葉で出迎えた。 また。いつか一緒に星を見上げましょうね。(黒井)


3日の夜はみんなで快晴の星空と月を眺めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンバーは松島にとまり、翌朝のなんとも美しい日の出をともに眺めました。おわりははじまり。

この日、大川小の跡地にて大川伝承の会の方のお話を聞きました。またあらためてメンバーレポートしたいと思います。